大判例

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東京高等裁判所 昭和58年(ネ)837号 判決

控訴人

李実根

右訴訟代理人

加嶋安太郎

加嶋是

宮原守男

若井英樹

被控訴人

三橋藤一郎

右訴訟代理人

秋山昭一

田山睦美

主文

原判決を取り消す。

被控訴人の請求を棄却する。

訴訟費用は第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実《省略》

理由

一請求原因事実は当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、茂は、昭和三八年一月二九日同人方において被控訴人のためにすることを示して控訴人との間で代金二四万円での本件土地売買契約を締結したことが認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

二そこで、右契約締結当時、被控訴人が茂に対してその契約締結の代理権を授与していたかどうかについて判断する。

1 〈証拠〉によれば、被控訴人は当時、父である茂方に同居して、昭和三七年暮ころから始まつた茂と控訴人との本件土地売買に関する交渉をしばしば茂方の隣室で聞いており、前記契約当日にも隣室にいて、茂に指示されて自ら自己の登録印鑑を茂に交付したことが認められ、この認定に反する〈証拠〉は、後記2で判断するとおり到底措信しがたく、他にこれを覆すに足りる証拠はないところ、右認定事実によれば、被控訴人は遅くとも右印鑑交付時点までには茂に対して本件土地売却の代理権を授与していたものと推認することができる。

2  原審及び当審において証人三橋茂、被控訴人本人は右代理権授与を否定して、茂は茂方に保管してあつた被控訴人の登録印鑑を盗用し、印鑑証明書も被控訴人に無断で交付を受けて右契約をして移転登記手続をしたとの各供述をするが、〈証拠〉によれば、被控訴人が本訴提起に前後して千葉地方裁判所佐倉支部に申請した本件土地処分禁止仮処分申請事件の疎明資料として同裁判所に提出した茂作成の陳述書(乙第二号証)では、茂は被控訴人の登録印鑑をどうしても入手し得なかつたために被控訴人に無断で同人名義の改印届をした旨、被控訴人作成の陳述書(乙第一九号証)でも、当時被控訴人は登録印鑑を茂に冒用されることなどをおそれ、その保管にはノイローゼになるほど注意しており、自ら所持していた旨、それぞれ陳述していること、本訴においても被控訴人の当初の主張は右各陳述に概ね合致するものであつたこと、前記茂の証言、被控訴人本人の供述がなされたのは、控訴人提出の乙第九号証により改印届のなされた事実がないことが明白になつて以降に実施された証拠調期日においてであることが、それぞれ認められ、この認定に反する証拠はない。被控訴人は、右のような茂、被控訴人の各陳述、供述の変化内容、経過は同人等の記憶の混乱等によるというが、二〇年以上前の事実に関する供述であることを考慮しても、右変化をこれらにより説明しきれるものではなく、特に、茂、被控訴人の各陳述がそれぞれ符合するように変転しているのは偶然の一致とは考えがたく不可解といわざるをえず、しかも、右各供述自体きわめて不自然、かつ暖昧であり、結局、茂が被控訴人から登録印鑑の交付を受けたことを否定する点でのみ前後一貫しているにすぎないことを考えれば、前記のような茂、被控訴人の各陳述、供述は措信しがたいと言うべきである。

3  そして、〈証拠〉によれば、次の各事実が認められる。

(一)  本件土地は茂の父藤吉が取得し茂名義で所有権取得登記のなされた土地の一部であり、昭和三一年に茂が被控訴人に贈与したことになつているが、藤吉の死後は当主たる茂が自己名義の土地数筆と共に管理していた。しかし、茂は昭和三五年から同四三年にかけて約一〇回にわたり、自宅の敷地を除く土地をすべて売却してしまい、このことは茂の親族や隣人に周知のことであつた。

(二)  本件土地売却当時、被控訴人は二六才の独身で定職に就かず、茂方に起居することが多かつた。

(三)  茂は昭和三五年に被控訴人の所有名義の土地を石橋まちに売却しているが、その際、被控訴人は茂にその代理権を授与している。

(四)  被控訴人が本件土地を控訴人に売却したことはないと主張して本件訴訟を提起したのは、右売買及びこれに基づく所有権移転登記後一六年以上も経過してからであり、この間の昭和五〇年ころからは本件土地付近では大規模な宅地造成が進み、丘陵地帯が住宅地となり地形自体が一変しているが、被控訴人も毎月一回は本件土地に近い茂方を訪れていて、その途中の路上から本件土地付近の造成工事の進展状況を容易に見ることができたが、被控訴人は控訴人や宅地造成業者に本件土地が自分の所有であると主張する言動をしていない。

右認定事実によれば、茂と同居していながら被控訴人が長期間、本件土地売却に気づかないというのは不自然であり、また、被控訴人は茂が本件土地を売却するといえば拒否しがたい立場にあり、茂がことさら被控訴人に隠れてこれを無断売却しなければならない事情はなかつたとみるべきであり、被控訴人が本件土地の造成工事に対して無関心でいたのも被控訴人が本件土地がすでに自分の所有を離れたことを知つていたためであるとみられる。

4  なお、〈証拠〉によれば、茂は元来酒好きで昭和三四年に父藤吉が死亡してからは酒量もふえ、本件土地売却当時も酒浸りの生活をしていたことが認められるが、このことは直ちに本件土地売却が茂の酒代に当てるためであり、したがつて、右売却が被控訴人には無断で行われたと推認させるものとはいえない。

三以上のとおり、茂は被控訴人から授与された代理権に基づいて、本件土地を控訴人に売却したものであり、これにより被控訴人は本件土地の所有権を失つたというべきであるから、被控訴人のその所有権に基づく本件抹消登記手続請求は理由がなく、棄却すべきである。

四よつて、これと異なり被控訴人の請求を認容した原判決は失当であり、本件控訴は理由があるから、原判決を取り消して被控訴人の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担について民訴法九六条、八九条を適用して主文のとおり判決する。

(森綱郎 髙橋正 小林克已)

《参考・第一審判決理由》

一 請求原因事実については当事者間に争いがない。

二 〈証拠〉を総合すると、被告は、昭和三七年暮頃、茂から本件土地の買受方の申し出を受け、本件土地のうち、やゝ平坦な部分三〇〇坪を代金一二万円で買受けることとし、翌三八年一月五日、被告方において、手付金として金三万円を茂に交付したこと、その後、同月中旬頃、重ねて茂から本件土地全部の買受方の申し出を受けた被告は、結局、茂から本件土地を代金二四万円で買受けることとし、その旨茂との間で合意したこと、同月二九日、被告と茂は、佐久間司法書士事務所において、本件土地の売渡証書(乙第一号証)を作成したのち、被告方において、右代金として、同日金五万五〇〇〇円、同年二月一日金一万五〇〇〇円、同月四日金一四万円が茂に支払われた事実を認めることができ、これに反する証拠はない。

三 以下、抗弁について判断する。

被告は、本件土地売買の交渉に際し、原告が昭和三七年一二月末頃、原告方で被告と茂が協議しているのを傍で聞いていたこと、昭和三八年一月二五日頃、被告が登記手続の打合わせのために原告方を訪れたところ、原告が茂の指示に従つて仏壇の下から自己の実印を取り出して茂に交付し、本件土地売買について異議を述べなかつたことの事実を主張し、右事実から原告が茂に対し本件土地売買の代理権を授与した旨主張するところ、右実印交付の事実を除いては、被告本人の供述によつても、被告と茂とが本件土地売買の交渉をした同じ部屋に原告が横になつていたというのであり、その際、原告が右交渉を了知していたか分明でないのであるから、茂に代理権があつたか否かについては、結局のところ、右実印交付の事実の有無にかかつているものである。

この点についての被告本人の供述するところは、一月二五日頃、登記手続の打合せのために原告方に行つたとき、同じ部屋で寝ころんでいた原告が、茂から実印を出せと言われて、仏壇の下の方から印鑑を出して茂に渡した、その印鑑は木で作つた三文判に見えた、というのであるが、原告本人の供述によれば、原告の実印は、持つところが黒で、先端一センチ位象牙でできているというのであつて、実印の形状についての喰い違いがあるものの、昭和五四年八月二四日付原告の陳述書には、原告の実印の所持、保管状況に関して被告の主張するように不自然な点があり、原告本人のこの点の供述には首肯し得ない面があつて、原告が茂に実印を交付した事実を隠すための供述ではないかと疑える節もないわけではない。

しかしながら、この点についての茂の供述をみてみるに、昭和五四年八月二四日付の茂の陳述書によると、茂は「町役場に原告の印鑑証明書をもらいに行きましたが、印鑑が違つていると証明書がもらえず、家にある印を三、四本もつて行つたがどれも役場に届出してある印とは違つており三回位役場に通つたが証明書はもらえませんでした。そこで、父藤吉が生前に使用していた印を新たに原告の実印として役場に届出をして印鑑証明書をもらい・・・・」と供述し、また、証人として、「実印は家で見つけたのです。その判子が見つかつたので持つていつたのです。役場に四、五回行つた。役場に行つたが判が違つているとか言われたので何度もいつたのです。前にあつたのがやつと四回目ころに見つかつて間に合つたのです。」、「新たに実印として届出たということは弁護士に話したことがある。」と供述しているところ、右供述は、茂が原告の実印を手に入れることについて種々手を尽くしたという点については一貫しており、そのことの故に、茂と原告が親子の関係にあることを考慮にいれたとしても、右茂の供述はかなり信用できるものである。

右のとおり、被告本人の供述にはこれを裏付けるものがなく、他面、これを否定し得るような茂の供述もあることからすれば、原告が茂に実印を交付したという被告本人の供述はそのまま信用することができず、他に右事実を認めるに足る証拠もない。

更に、被告の主張するように原告が茂に実印を交付するような状況にあつたかについて検討するに、〈証拠〉を総合すると、茂の父藤吉が厳格であつたため、藤吉に隠れて飲酒するにすぎなかつた茂は、昭和三四年一〇月に藤吉が死亡して以後、いわば酒びたりの状態となつていたこと、しかも、茂は、カナ文字が読める程度で「藤」の字も書けない程の学力しか有していなかつたこと、本件土地は、藤吉が茂名義で購入したものであるが、茂の右のような状態から、藤吉が原告に対して贈与したものであることが認められ、右事実から判断すると、原告が、信頼すべき仲介人でもない限り、茂に自己の実印を渡して売買を一切任せるのであろうか、大いに疑問である(なお、本件土地売買については、山田忠義が立会人として関与しているが、同人が直接原告から本件売買についての立会を依頼された証拠はない。)。

したがつて、被告の有権代理の主張は採用できない。

次に表見代理の主張について検討するに、被告の主張する正当事由の存在の支柱をなす事実は、右の実印の交付の事実であるところ、右事実を認め難いことはすでに述べたとおり、被告の主張する他の事実のみでは、仮にすべてこれが肯定されたとしても、被告において、原告にその意思を確認していないことは被告の自認するところであるから、被告において茂に本件土地売買の代理権があつたと信じたことについては過失があるというべきであり、その余の点について判断するまでもなく、右主張も理由がない。

取得時効の主張については、被告が本件土地の占有開始にあたつて自己の所有であると信じたことについて過失があることはすでに述べたことから明らかであるから、右主張もまた採用できない。

四 以上によれば、本訴請求は理由があるからこれを認容〈する。〉

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